「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

たまにやるから面白い たまにやるからありがたみを感じる

 

こんばんは。

 

私が長きに渡り実践し続けている3つの行い。

① 毎朝の早起き習慣

② 朝食抜きの1日2食習慣

③ TVを見ない習慣

1つ目の「毎日の早起き習慣」をご紹介した後、習慣化についての話を続けてまいりました。

本来は、これらに共通する「あること」についてお伝えするつもりが、大きく脱線してしまいました。本論に戻りたいと思います。

 

これらにはある共通点がある。

それは

「たまに習慣と異なる行いをすることで、その行いをより面白く感じる」

「たまに習慣と異なる行いをすることで、習慣と習慣から外れた行動の双方についてありがたみを感じる」

ということでした。

 

1つ目の「毎朝の早起き習慣」

私は毎朝4時45分に起床しています。この生活を続けてもう3年ほど経ったでしょうか。それ以前は5時30分起床を長きに渡り続けていましたので「早起き」習慣というくくりで考えればもう7~8年は経っているかもしれません。

習慣とはありがたいもので、どんな環境でもこの時間には寝床から抜け出しています。身体が自動的に反応してしまうのですね。真冬の朝は辛いですよね~特に精神的には。わざわざ暖かな布団の中から、極寒の暗黒の空間に身をさらす。まあ、これは大袈裟な表現ですが、我が家の住居環境を考えるとそう思えてしまうのですw 「そんなことする必要ない。もっと布団の中にいよう」と瞬時に判断してしまう自分の素直さ(情けなさ)は恐るべし。そんな感情を何度も抱いてきました。

でも習慣化してしまえば、そんな思いとは関係なく体が反応してくれます。習慣とは頭ではなく身体が覚えているもの。だからこそ反復が大切なのですね。

 

では、1年365日毎朝4時45分に起床しているのか?

と問われると、答えは「No」となります。1年のうち何日かはこれよりも遅い時間に起床することがあります。でも、それは結果的にそうなったのではなく、意図的に選んだ行動なのです。この「結果的」と「意図的」には大きな違いがあります。

 

結果的に朝寝坊をしてしまう。まあ、これは仕方がないとしましょうか。疲れていてどうしても起きられない朝もあるでしょうから。

でもこれが常態化してしまうと、「早起き習慣」にほころびがでてきて、習慣の体をなさなくなってしまう。習慣を放棄してしまうことにもなりかねません。

意図的に起床時間を遅くする。これは自らが選んだ行動です。

例えば、朝寝坊してしまい7時の起床となってしまった。もしくは、あらかじめ、この時間まで眠ることを意図して7時に起きた。同じ結果に見えても、そこには大きな違いありますね。

 

明日に続けます。

 

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