やはり「現実を知る」ことのほうが大切
こんばんは。
現実を知ったほうがいいのか、よくないのか。
「知らぬが仏」という言葉があるように、現実を知らない方が幸せなのではないか? 昨日はそんなことを書きました。
でも「現実から目を逸らす」ことが不利益につながることもあります。
例えば、まだ私が20代の頃、職場で50代の若さで急逝された方がいました。死因は癌。後になって分かったのは、その方が長年健康診断を受けていなかったということ。もし健診を受けていれば癌を発見し治癒できたかもしれません。
その方が現実を認識したくないから健診を避けていたのか。それは定かではありません。でも現実を突きつけられていたら、こんなに早く致命的な事態になることはなかったでしょう。
人間関係でも致命的な状況に至ることがありますよね。「何かおかしい」とは気づいてながら「見て見ないふりをする」。あの人に裏切られているという「現実」を知りたくがないために。ますます状況は悪化し、それが発覚したときには取り返しのつかない事態に、といったことが。
やはり「現実を知る」ことのほうが大切。
「現実を知らなかったから良かった」というのはあくまでも結果論。知っていれば、次のアクションが取れますし、致命的な事態にならずに済むかもしれないのですから。
私のように「体重計に乗らない」「熱を測らない」という比較的些末なことには活用していいと思います、「現実を認識しない」という手法を。
でも、あなたの暮らしを、人生を脅かしかねない対象においては、現実から目を逸らしてはいけません。
実際にはそういうときこそ目を逸らしたくなる、現実を直視ることから逃げたくなるのですが。
でも、新しい展開を手繰り寄せる、新しい道を歩いていくためにも「現実を認識する」ことを選択すべきです。
「現実から逃げる」「現実を無視する」ことを誤用・悪用してはならない、ということでもあります。その場は平穏な気持ちでいられるかもしれません。でも後々それが重大事を招く。「逃げる」という易き方向に流れてしまったがために。
「現実から逃げない」「現実を認識する」ことを大前提におきながら、「現実を見ない」を小さな対象には活用する。これがベストですね。
でも、うまく使い分けができない。逃げると癖になる。これが実態でしょう。そうであれば、常に「現実を受け入れる」のがベターでしょう。
「現実はそれほど恐ろしくない」という心持ちでいることも必要だと思います。
心に余裕を持っていることはやはり大事なのですよね。