データと感覚のハイブリッド
こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
遅い更新になってしまいました。
体組成計を毎日の生活に組み入れる。
ただ「乗る」という簡単な取り組み、いや取り組みというほどのものでもない行為が、健康意識を高めることにつながる。やらない手はないと思いますよ。
毎日の健康管理といえば、もう一つ忘れてはいけないことを思い出しました。
ウェアラブルデバイスはすっかり私たちの生活に根付いたような気がします。あなたは利用されていますか?
以前にも書きましたが、私がウェアラブルデバイスを使い始めたのは2020年の終盤ですから、もう1年数カ月使い続けています。
最初は違和感がありました。手首にまとまりつく感覚が気になっていたのですが、今は全く気になりません。つけているのも忘れるくらいです。
今ではなくてはならない存在になっています。
ウォーキングを日課としている私にとっては、歩数チェックもその楽しみの一つ。
でもウェアラブルデバイスでなくてもその機能はありますよね。歩数計の機能を持つアプリは数多くありますので、スマホを持ち歩いていれば記録されるわけですから。
毎朝睡眠の質と量を把握し、その日の過ごし方に活かす。その晩は夜更かしをしないようにする。毎日軌道修正をできるのが一番のメリットでしょう。
1日単位で解消できない問題は、週単位で行動を変えることもできる。平日に睡眠がとれていないが仕方がない。そんな時は何とか週末に長めの睡眠時間を確保する。私がお勧めしている「戦略的朝寝坊」を活用するためにも、ウェアラブルデバイスによるデータが欠かせません。
睡眠データに頼らずとも、睡眠の状態は分かります。
何時に就寝し何時に起きたかは分かりますし、睡眠の質も目覚めたときに感じることができます。この意味では、睡眠データの記録は必要なさそうにも思えます。
でも、忙しい日々を過ごしていると、日々の睡眠について気にすることが無くなる、振り返ることもなくなる。そういう状況が続いてしまいます。日々の生活改善を怠り、健康状態を悪化させてしまう。この状況を防ぐために「データの記録」が効いてくるのです。
データとして示されると、それを受け入れざるを得えない。記録が残っているので記憶違いの罠にもはまらない。特に睡眠の質のデータの存在は意義がある。自身の感覚は都合よく解釈できても、データは都合よく捏造できません。
「現実を認識できる」のがデータの強みですね。
感覚をないがしろにしていい、と言っているわけではありません。むしろ、感覚のほうが大切でしょう、自身の身体状況のより正確な把握という意味では。データには表れない何かを感じたらそれを無視してはいけない。
データと感覚の掛け合わせ、ハイブリッドが重要なのです。
データと感覚が一致した場合、例えば目覚めが良くてデータも良好だったら、良い睡眠に聞いた要素は何だったのかを振り返る。それを翌日からの睡眠で試みる。これを繰り返すことで睡眠が改善していく。目覚めが悪くデータも悪かったら、何が原因だったのかを振り返る。それを翌日の睡眠で解消する。
こうして、睡眠生活を向上していく。それに寄与してくれるのがウェアラブルデバイスなのです。
明日に続けます。