なぜ穏やかな気分でいられたのか?
こんばんは。
先週立て続けに、頭上からの鳥の糞が降りかかってくるという災難に見舞われました。
1度目は未遂、2度目は的中。この表現は、鳥側の目線でいうと、ということになりますが。
鳥の糞が顔とズボンに的中し急いで家に戻った私。
顔を洗ってから、ズボンを洗剤を溶かした液体に浸してもみ洗い。ズボンを丸ごと洗うのが面倒だったので、その的中した部分だけ何とかしようと試みたのですが、なかなか汚れが取れない。衣類についた鳥の糞は相当手ごわい敵。そう認識したのでした。
連休最終日の夜に浴室で手洗いに勤しむとは想像していなかった。何とも寂しい時間を過ごしてしまったのです。
ズボンをゴシゴシと擦りながら今回の出来事について思考を巡らせました。
真っ先に思い浮かんだのが、
・鳥は狙って糞を落としている。
ということ。1度目は寸でのところで災難を免れたものの、頭上にいたのは1羽のカラスのみ。これは狙っているとしか思えない。
2度目は大量の小鳥、おそらくスズメ、からの攻撃。これは偶然かもしれませんが、こう短期間で2度も起こると、意図的に感じてしまうのですよね。
「後でネットで調べてみよう」と考えながら、「これはブログのネタにできるかもしれないな」との思いも浮かぶ。
さらには「もしかしたら、これは運がいいのかもしれない。うんだけに、運がいいというのかもな~」という考えまで抱いたのでした。
実は、この「運がいいのかも」というのは、糞に見舞われた直後にも頭に浮かんだ思考でした。とっさにそう思ったのです。
なぜか、この時は不思議と穏やかな気分を保つことができました。
こういう場合には、苛立ったり、はたまた気分が沈んだり、というのがいつものパターン。その感情を引き金にして、そのまま怒りモード、ないしは落ち込みモードをひたっぱしるというのが良くない思考の癖。
でも、なぜかこの日は違った。
考えられる理由としては、災難にあった直後に感情に流されなかったこと。先ほど話した「運がいいのかも」という思考が、ネガティブな感情の発生を抑え込んだ。被害の当事者としてではなく、客観的にものを見ることができた。そういう面も持ち合わせていると思います。
もう一つの理由が、手洗いという作業に打ち込んだこと。単純な作業の繰り返し、というのは精神にポジティブな影響を与えてくれるのです。掃除や料理といった家事は、この面で秀でていると言えます。
さらに別の理由が、当時読み返していた本の影響。この本からの学びを改めて読み返していたのが、ちょうどこの時だったのです。そこに書かれていたことを考えたら、こんなことで感情を害するのは本当に情けない、そういう思いが自然と湧いてきた。
ちなみに、この本については別途ご紹介させていただきたいと思います。
ズボンにこびりついた鳥の糞の手強さを思い知った私は、「漬け置きで汚れを落とす」作戦に切り替えて、自分時間へと突入することにしました。
PCを立ち上げて、一口目のビールを楽しむ。まったくネガティブな感情は残っておらず、むしろすがすがしい気分。
感情をコントロール術。そのコツを体感したような気がしたのでした。