ラジオ体操から学んだ「大切にしたいこと」
こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます!
昨日の記事では、ラジオ体操がもたらす効用についてお伝えしました。これらがラジオ体操が「究極のエクササイズ」と呼ばれる所以なのですね。
でも私がラジオ体操を習慣化しその良さを再認識したのは、これらの効用を知ったからではありません。
正確に言うと、これらの効用はこの記事を書くまであまり意識したことがありませんでしたw でも今では何の曇りもなくその素晴らしさを実感しています。
最近になって私がラジオ体操をし始めた理由は別にあります。
それは
しなくてはならない環境に置かれたから
という消極的な理由です… 恥ずかしながら。
強制されたわけではないのですが、やらないと白い目で見られるような環境。
周りの人がラジオ体操をやっているので、自分もやらないと気まずい。そんな環境に置かれたのです。
ちなみに、そんな中でも「やらない」ことを徹底している人もいます。その徹底ぶりに潔さを感じるほど。そういう考え方・選択もいいと思いますね。
実際のところ、ラジオ体操に取り組んでいたとしても「テキトーに」やっている人のほうが多数派。私もその1人でした。
ある朝、ある人がものすごく真剣に取り組んでいるのを目にしました。
「なんでそんなに熱中できるのだろうか?」と思っていた私。でも、ラジオ体操が終わった後の彼のすがすがしい表情が気になりました。
その翌日にまた彼を発見。彼にならって一度真剣に取り組んでみようと思いました。真剣に取り組んでなんら損することもありませんし、所要時間も経った数分ですし。
あなたは真剣にラジオ体操をしたことはありますか?
実のところ、この日が私が初めて一生懸命にラジオ体操に取り組んだ日。小学生の時もこんなに真剣にやった記憶がありません。
この「たった数分」が侮れない。息が上がり、汗ばむことになるとは想像もしていませんでした。まあ、ふだんなにも運動していないのが原因なのですが…。
そしてなぜか気分も晴れやかに。
思わぬ体験に気を良くした私は、翌朝も真剣にラジオ体操に取り組みます。腕を大きく振って、胸を大きくそらして、腰を大きく伸ばす。しっかりと体を横に曲げてねじる。前屈も深く行う。まさに全身を使ってラジオ体操と向き合います。
自分の体の硬さへの寂しさとともに、なんとも言えない気持ちよさも感じる。ふだん使っていない筋肉や関節がほぐれるのはこんなに気持ちいいんだ。そう気づいたのです。
少しおおげさに思われるかもしれませんが、個人的にある種の感動すら覚えたといってよいレベルの気づきだったのです、実際に。
今では「全力でのラジオ体操」が毎朝の習慣としてしっかり定着しました。
ふだん軽んじていたことを見直してその素晴らしさを知る。そして、それを習慣化する。これは本当に大切ですよ。
何かを手に入れたいと思ったときに、私たちは新しいことを試そうとします。これは大切なことです。
でも、見逃しがちなのが、身近な存在に価値を見出しそれを手に入れるということ。
私にとってのラジオ体操であったように、あなたにもそんな存在があるかもしれません。
ぜひご自身の生活を振り返ってみてくださいね。