継続における「落とし穴」
こんばんは。
「継続は力なり」
継続することで高みに至ることができる。凡人にとっての唯一と言ってもいい武器。それが継続。
天才がおごって休んでいる間に、凡人は少しずつでもその距離を縮めていく。そして、いつの日か天才に並ぶ時が来る。さらに天才を追い抜くことができる。
まあ、現実にはそんな簡単な話ではないかもしれません。天才が休むとは限りませんしw
でも、他者とではなく、過去の自分との比較をすれば、継続の威力を認識することができる。継続していなかったら、この高みには来られなかった。そう感じられる瞬間は嬉しいものです。
でも、継続において、陥ってしまいがちな「落とし穴」がある。このことは認識しておいた方がいい。
このことは、以前の記事に書いています。
「何とかして数をこなす」
そのことだけに注意を向けていた私は、いつの間にか腕立て伏せの基本をないがしろにしてしまっていたのです。
改良をするどころか、基本をないがしろにしてしまった。逆方向に進んでいってしまったんです。
しっかりと肘を曲げずに、胸を深くおとさない。そんな腕立て伏せもどきを繰り返していたのです。
腕立て伏せの効果を享受するためには、回数よりも正しいフォームが大切。100回間違ったフォームで行うよりも1回正しいフォームで行ったほうが効果的と言われるほど、フォームが肝である腕立て伏せ。
フォームを無視しているのを認識していながら、それを改めなかったのですから、本当に質が悪いです…。
数をこなすことだけを拠り所にして、本当に大切なことを忘れていた。今思い返せば多くの時間を無駄にしてきたことを後悔しています。
そもそも何百回もしっかりと腕立て伏せを続けるなんて物理的に不可能だったんですね。でも、それまで継続してきた営みを捨てることができなかった。なんとかして継続記録を更新する。そこだけに目が向いてしまった。
だから、肘がしっかりと曲がっていなくても大目に見ていた。少しでも肘が曲がっていれば「腕を伏せた」と自分に言い聞かせた。傍から見たら「こいつは何をやっているんだ」という状態だったと思いますw
何ごとも基本を疎かにすると本質を見失います。得られるはずの果実も得られなくなります。
続けることにこだわって目的を見失ってしまう。それが継続の「落とし穴」。
手段が目的化してしまったともいえますね。
長く続けていると基本を忘れてしまう、という側面もあります。自分では意図していなくても、基本とはかけ離れたやり方になってしまっている、という対象は多くあると思うんですよ。
最近、このことを痛感した対象があったんです。
明日に続けます。