「愚直に」という言葉は好きですか?
こんばんは。
記録を取ることに特化したフェーズである「助走」。
「口に入れたものを全て、毎日メモを取る」「毎日、同じ時間に体重を計りメモを取る」の二つを継続するだけ。食生活自体は変えなくていい。
でも、本当にこれでダイエットといえるの? と疑ってしまいたくなりますよね。
でも、著者は徹底しています。
しかし、この段階ではダイエットはしない。ひたすら、記録取りに徹する。意志力の弱い私がここまで減量に成功できたのは、この「可能な限り記録をとる」「最初は記録をとるだけで、絶対にガマンしない」というルールを愚直に守れたからだ。
自分で設定したルールを愚直に守る。これはダイエットに限らず、何か新しい習慣を身につけようとするときに決め手となる姿勢。
ちなみに、私はこの「愚直に」という言葉が好きです。
漢字を直訳すると「愚かなほど真っ直ぐに」となります。自分のこれまでの人生を、生き方を振り返ると、「愚直に」取り組んできたことが多い。その結果、「求めていた状態を手にすることができた」り、「好ましい習慣をみにつけた」りすることができていることに気づきました。
私は意志が弱い。そして才能にも恵まれていない。そんな自分ができることと言えば、やると決めた対象を「愚直に」継続することしかなかった。
傍から見れば「愚か」かもしれない。でも、「愚直さ」がなかったら、自分が自分のことを「愚かなやつ」「ダメなやつ」と感じることになるのは間違いない。何もしないから何も変わらない。その状態を、そんな自分を、「愚か」と感じざるをえない。「愚か」に思われたとしても、結果的には「愚か」ではない。自分の気持ちを優先すべき。
少し話がそれてしまいました。
著者のこの徹底ぶりがすごい。
でも、なぜここまで徹底できたのか? その理由は、次の文章にあらわれています。
・するとどうなったか? 五か月間で私の体重は107キロになった。つまり10キロもの体重が、食事制限もなにもなしで落ちたのだ。
この一種の「成功体験」が、著者が「記録をとるだけで決して食事制限をしないこと」の徹底を念押しする理由だと思います。
順番が逆では? という指摘はごもっともです。徹底したから結果が出たのであって、結果が分かっているから徹底したのではありませんから。
でも、この「助走」の過程で、食事制限をしなくてもやせていく自分に気づかれていたのだと思います。毎日体重を測定しているので間違いないでしょう。だからこそ、徹底ぶりに拍車がかかったのではないか、と。そして、それがさらなる成果につながった。
これはあくまで自分勝手な想像にすぎませんが。
明日に続けます。